2017年も残すところあと数日。なんとなく、「今年一番~~な〇〇」を振り返り始めました。
今年一番作って楽しかったお菓子、今年一番楽しかった旅、今年一番興奮したコンサート、今年一番印象的だった本、今年一番好きになった映画、今年一番・・・(^o^)丿 こうやって振り返るのも楽しいですね~♬ 今年1年も、無事生きてきたんだな~って感謝でいっぱいになる♡ ありがとうございま~す(*^^*)
第1弾として、今日皆さまにシェアしたいのは、私にとって「今年一番インパクトを受けた詩」です(^^♪ 第1弾!と言いながら、これで終わっちゃうかも~(´▽`*)
「詩」っていうのが、ちょっと渋い(笑)かしれませんが、詩だからこそ、丸ごと全部共有できる!
というわけで、まずは、何も言わずにシェアします(*^^*)
自分の感受性くらい
茨城のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この詩を読んだのは、「Kurashi 暮らし上手」という雑誌の創刊号(Vol.1)で。
「賢人に学ぶ女の生き方」という特集の冒頭に掲載されていました。
ちょっとした心のつまずきから幕を開けた私の2017年。誰にだって、そういう時はありますね。ことさらに、いうほどのことでもないけれど。でも、本人にとっては気持ちの立て直し、それから、気持ちの崩れによる暮らしの乱れや人間関係のもつれをすっきりと直していく作業が大命題だったりします。
そんな作業の途中で出会ったのが、この詩。すごいインパクトを受けました。
誰のせいにもしない。環境のせいにもしない。自分に起こることは、全て自分が引き起こしたこと。
そうして、最後に「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ!!」にはガツンと一発殴られて目が覚めた感じすらしました(^o^)丿
そうか。何があったって、自分の感受性は自分で守るものなのか。
この詩を書いた茨城のり子さんは、1926年に生まれ、2006年に亡くなった詩人です。現在の東邦大学薬学部出身。リケジョ(理系女子)のはしりでありながら、スパっとした潔い日本語の使い方で「現代詩の長女」とも称される大詩人。一方で、勤務医だったご主人との二人暮らしの中では、ご主人がもらってくる給料袋の月給でやりくりをし、工夫を加えた料理にご主人が喜ぶと自分もはしゃいでいる少女のようなみずみずしさが日記の中から窺えるとか。なんともチャーミングな方だったのですね。
茨城のり子さんが生きた時代は、大戦前夜から、戦中、戦後、そして、戦後の復興から高度経済成長期、バブルの崩壊、21世紀の混とんとした時代へと、イデオロギーや価値感の転換が次々に起きた時代です。
そんな時代のうねりの中で、茨城のり子さんは「軍国少女」として多感な時期を過ごし、戦後の民主主義時代になるとあっさりとそちらに転向してしまった自分が苦々しかったと、後に述懐していたそうです。
「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」という強い言葉には、そういう自分への苦々しさか、反省か、やりきれない思いなのか、何か分からないけれど、大きな大きな気持ちの流れと、それをスパっと断ち切る潔さを感じます。
最後の「ばかものよ」でガツンと一発殴られ目が覚めたところで、「ちょっと待てよ。ネガティブなことの何もかもが自分のせいなのであれば、ポジティブなことや幸せであることも自分のせいなのだ」とちゃっかり解釈(*^^*)
たとえば自分が寂しかったり、惨めな気持ちでいるときに。誰かが優しくしてくれたり、親切にしてくれたりしてハッピーになるというのは、そうあったらいいな~と誰もが願うことかもしれないけれど、それは、やっぱり誰かや何かに期待しているということ。誰かや何かをあてにするほど不確実要素が大きいものはない。そして、あてが外れた時の反動ったらもう。。目も当てられない。「やっぱり私は、恵まれていないんだ。。独りぼっちなんだ。。」なんてドツボにはまったり(≧▽≦)
それよりも手っ取り早く、確実にハッピーになる方法は、自分で自分をハッピーにすること♡ これなら絶対に誰も裏切らないし、そもそも「裏切る」なんていう概念がない。軸にも脇にも自分しかいませんから。
何かに振り回されそうになったときにこの詩を思い出して「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」とつぶやいて自らを戒めるのも良し。
一方で、私ってなんてハッピーなんだろう、これも持っているし、あれもある、「自分の感受性を、自分で守ってるから♡」とウキウキとハッピーになれるのもまた、この詩に出会って良かったこと。
最後に、茨城のり子さんの詩で、もう一つ、はっとした詩をご紹介します。教科書にも出ているので読んだことがある方も多いかしれません。19歳で二次大戦の終戦を迎えた茨城のり子さんの代表作の一つ。
平和への願いを込めて。
私がいちばんきれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
皆さまも、沢山の今年一番を見つけて、ハッピーに2017年がしめくくれますように(*^^*)