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エクトル・ギマール ~パリのメトロ入口を手掛けたアール・ヌーボー建築家【美の巨人たち】

パリのメトロ入口の中に、一風変わった、昆虫が羽を広げたような、緑のツタが絡まったような、不思議なデザインのものがあるってご存じですか?

これは、アール・ヌーボーの建築家、エクトル・ギマールが手掛けたもの。パリのメトロ開通の1900年当時、既に独創的なデザインで人気の建築家であったギマールが注文を受けて作ったものです。デザインの先駆者でもあったギマールは、同時に工業規格化の先駆者でもあり、このメトロ入口のデザインにそれを生かしたのです。

でも、当時、このデザインは時代遅れだと酷評され、その後殆ど取り壊されてしまったそうです。

その後、世界大戦の渦に巻き込まれた社会の中で、アメリカに亡命したギマールは、作品とともに忘れ去られ、ニューヨークで世を去ったのでした。

2月24日(日)夜10時~10時半にテレビ東京「美の巨人たち」で放送の、このギマールのこと、パリメトロ入口のことなど、気になったので調べてみました。

エクトル・ギマールが手掛けたパリのメトロ入口や建築物ってどんなもの?

冒頭の写真は、パリ16区にあるポルト・ドフィーヌ駅(Porte Dauphine)の入口。これは、ギマールが作ったオリジナルのものです。この駅は、メトロ2番線の終着駅で、出るとすぐにブローニュの森があるところ。1900年の開通当時も、出ると森が広がる緑豊かな様子だったのでしょうか。

メトロ開通当時は、140箇所ほどあったといわれるギマール作の入り口。でも今は、ギマールのオリジナルは、ポルト・ドフィーヌ駅と、アベス駅(Abbesses・12号線・モンマルトルの入り口)シャトレ駅(Châtelet・1・4・7・11・14号線・サント・オポルテューヌ広場)3つだけになってしまったのこと。

今でも、他にも模して作った駅がありますが、それらは、後年ギマールの功績とデザインの素晴らしさが再評価されて複製されたものです。

たとえばこちら。屋根はありませんが、こちらもギマールの作品。植物のような虫のような、不思議なデザインですね。

(写真:写真ACより)

メトロ入口の他は、たとえばこんな建築物。ベルギー国境に近いリールにある建物です。

(写真:Wikipediaより)

よく見ると、面白い形ですよね。上のバルコニーの部分の柱が真ん中になかったり、四角でも丸でもないドアの形。ちょっと植物的なような、それでいて石材のような。

ギマールは、こういった「抽象的な表現」が特徴的。石材にも木材にも刳形(くりがた)や渦巻き模様を付けたり、そのほか、ステンドグラスや陶製パネル、金具類や壁紙や布地などにも、抽象的なデザインのものを多く作りました。

エクトル・ギマールってどんな人?

では、このようなユニークなデザインを施した当時先駆的な建築家、エクトル・ギマールってどんな人なのでしょう?

こちらに、奥さまのアデーヌとの写真が残っています。

(写真:Wikipediaより)

この写真は、1910年頃のもの。ギマール43歳頃のものです。ダンディですね♪

ギマールは、1867年3月10日に、フランス南東部の街リヨンで生まれました。

1882年にパリ装飾美術学校にてシャルル・ジュニュイに師事。1885年にはパリ芸術学校で学びます。

パリ芸術学校は、17世紀パリに最初に設立されたフランスの国立高等美術学校で、グランゼコールの一つです。350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきた伝統ある学校です。

ここで学んだのですから、ギマールは建築界のトップエリートと言えますね! なお、現在は建築がここから切り離されているそうです。

その後、1891年に装飾芸術学校の教師となり、1900年まで教壇に立っていました。その傍ら、建築活動も盛んに行っており、数々の建築物を世に生み出しています。

そんな中、1898年に、ベルギーのブリュッセルを旅したときに、アール・ヌーボー様式を装飾芸術から建築へと取り込んだ最初の建築家と言われるヴィクトール・オルタが手掛けた「タッセル邸」を見て、ギマール独特のスタイルにつながる転換点があったといいます。

それまで、アール・ヌーボー様式は、装飾芸術としかとらえていなかったものを、建築へと取り入れるように転換したのです。それは、中世の巨大建築の影響を受けた幾何学的な立体の上に、ベルギー由来の、こちらの写真のような「鞭の一撃」という有機的な線が広がるものでした。

(写真:Wikipediaより)

そして手掛けたのが、「カステル・ベランジェ」です。

   
(写真:Wikipediaより)

なんだか、不思議なデザインですよね。これが、パリで初めてのアール・ヌーボー建築となりました。

6階建て36個のアパルトマンです。36戸すべてのプランが違っていて、その部屋割りを反映して外観には砂岩、煉瓦、タイル、鉄と、さまざまな素材を寄せ集めた形でした。さらに、ベランダや換気口などには奇怪な生物のような鋳鉄細工まで付けられいました。

当時としては、相当奇抜だったでしょうね!今でもですかね。。(笑)

実際、当時、あまりに奇抜で、統一感のない外観や、薄気味悪い内装パネルなどから、アパートの名をもじって「デランジェ」(迷惑をかける déranger)おかしな館と世間からは批判を浴びたそうです。

ちなみにビックリすることに、この建物は、今も現役なんですって!内装や設備などは変わっているでしょうが、1898年に建てられた建物が、100年以上たっても現役って、ヨーロッパならではのことで素晴らしいなと思います。

批判も浴びたものの、このカステル・ベランジェの建築によって、ギマールは一躍有名になり、注文が次々に舞い込み、様々な挑戦を建築物に生かしていきます。

そんな中、1900年にはパリのメトロ入口をデザイン、建築。

1909年には、自宅であるギマール邸を建築。これは、富裕なアメリカ人妻で、画家のアデーヌへの結婚プレゼントだったそうです。最新のデザインで、資金をふんだんに使った邸宅の結婚プレゼントなんて、すごいですね!

その後も、精力的に建築活動をつづけたギマールでしたが、いつしか時代は彼の意向とは反する方向に進んでいってしまったようです。

当時全盛だった「新しい芸術」を意味するアール・ヌーボーは、ギマールが活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動です。花や植物などの有機的なモチーフや、自由曲線の組み合わせによる従来の様式にとらわれない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材を利用することなどが特徴で、コスト的にも高くかかるものでした。

しかし、1914年~198年の第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなっていきました。

それと同時に、アールヌーボーを代表するようなギマールも、そのデザインと、高コストな建築費、それから、性格的にも難しいところがあったようで、新聞や、人々の目から急速に見放されていったのです。

そして、第二次世界大戦を機に、ユダヤ人の妻アデーヌとともに亡命したニューヨークで、1942年にギマールが亡くなったときには、フランスの人々は、すっかりギマールのことは忘れ去っていたといいます。

最後はちょっと寂しいですね。。でも、ギマール自身は、輝かしい時代もあり、時代の先端を駆け抜けていったようにも感じます。最後に寂しく没したことも、戦争という時代の中でのこと。戦争によって、人々の心も、暮らしも、何もかもが変わってしまったのでしょうから。

再評価されているエクトル・ギマール

時代とともに忘れ去られていたギマールの作品ですが、1960年~70年頃に、再度評価され始めました。研究者たちが、その歴史を振り返り整理をしているところといいます。

ギマールを一躍有名にした「カステル・ベランジェ」は、1983年に歴史的建造物として指定され、保護対象になりました。かつては批判された建物も、いまは住民と、パリの自慢の建造物になっています。

とはいえ、まだギマールの美術館が整備されるまでには至っていませんし、現存している建築物の多くは公開されていません。公開されていないということは、現役で使われているものも多いわけで、見られなくて残念というよりは、素晴らしいなと感心してしまいます。

エクトル・ギマールの作品は、どこで見られるの?

先ほど書いたように、ギマールの作品は、再評価されてきてはいるものの、専門の美術館が整備されたり、建物が公開されたりしているわけではありません。

でも、ギマールの作品が見られるところもあるようですよ。

一つが、パリのオルセー美術館ギマールが制作した家具の展示があります。

それから、パリの16区。メトロ入口や、カステル・ベランジェ等、多くの建築物が残っています。

ぜひ行って、圧倒的に奇抜で、アール・ヌーボーの香り漂う建築物を見てきたいものですね!

おわりに

いかがでしたか?今回は、時代に翻弄されたアール・ヌーボーの奇才建築家エクトル・ギマールについてご紹介しました。

パリ、行きたーい!!と思う気持ちが強くなったのは、私だけでしょうか?(笑)
あなたもですか?

行く機会があれば、ぜひ、ギマールの作品を見て、触れてきたいものですね♪

最後まで読んで下さりありがとうございました!


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