中学2年生の息子の授業参観へ行ってきました。
14歳の男の子のことが全然分からなくて、躓くことの多い日々です。先日は、プチ不登校も経験しましたし。。
その時の記事はこちら 中2息子が4日間のプチ不登校から学校へ行けるようになった話
あと1年で高校受験かと思うと、大丈夫かな、という気持ちと、まだもう少しあるから大丈夫だよ!という気持ちが葛藤。。
どうにかなるし、子供に自覚を持たせてあげられればきっとどうにかするもの、と日々過ごしています。
そんな中、授業参観がありました。小学校から数えて、何回目の授業参観なんだろう。。二人の子供達の授業参観を、仕事や出張が理由で行けなかったときは何回あるだろう。。
ふと考えてみると、母親になって、はや18年目。上の子である娘は高校最終学年ですし、下の子供である息子が義務教育最終学年に向かいます。私は、あと何回、母親として子供の授業参観へ行けるんだろう。。。??
そう思うと、すべての学校行事がもったいなく思えてきます。
うちは父親がいないから、運動会の場所取りとか、親子競技とか、一人でやらなくては行けなくて「大変だな」と思うことが多かったけれど、でも、子供達の晴れ姿を見ることができたのも、「その時」だったから。
ふとそんなことを思ったら、まだ小さくて元気いっぱいの笑顔を見せてくれた幼いころの子供達の姿がまぶたに浮かび、ちょっとウルウルとしたりして。。。
だから、今回は、授業参観から学級懇談会までフルで行ってみることにしました。
息子の授業は、音楽。音楽室での授業です。
歌ったり、楽器を演奏したり、にぎやかな授業なののかな。。。と思いきや、なんと、「歌舞伎鑑賞」がテーマでした。しかも、有名な演目「勧進帳」です。中学生になると、音楽も学術的になるのですね。
そういえば、私も中学生のころ、音楽の授業で教えてもらった気がしますが、あまり覚えていません。これはいい機会。私も、スライドを見ながら、先生の話を一緒に聞いてみました。
まず、「歌舞伎」の舞台構造のこと。表現技法のこと。
それから、「勧進帳」のあらすじ。
そして、いよいよDVD鑑賞です。
教育用に解説がついて、見せ場を上手に編集したDVDです。
中学生のころに見たときは、よく分からなかったけれど、大人になってみると、ハッとすることもあったりして。
だって、「勧進帳」って、頼朝の追ってから逃れるために身をやつした義経一行が「安宅の関」を超えるときの、弁慶の機転が有名だけど、今回見たら、「なんて思いやりにあふれた劇なんだろう。。」と感動したから。
あらすじは、こんな感じです。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、壇ノ浦の合戦などで大きな功績をあげ鎌倉幕府を立てる立役者となった弟義経が、頼朝の許可を受けずに官位を得たりしたことに腹を立て、自分の立場を脅かすのではと疑いをかけ、捕らえることにします。「勧進帳」は、源義経一行が、兄の追っ手から、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の「安宅の関」(今の石川県小松市)で弁慶の機転と、主君への思いやり、関守富樫との人情味あるやり取りが描かれた物語です。
安宅の関に差し掛かった義経一行は、武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとしています。関を通るときに、弁慶は「焼失した東大寺再建のための勧進を行っている」と言います。勧進とは、当時の寄付集めのようなもの。「勧進帳」は、その寄付・プロジェクトの趣旨が書かれている書類のことです。
しかし、関守の富樫左衛門の元には、既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行できないと厳命します。これに憤慨した弁慶は、仲間と富樫調伏の呪文を唱え、疑いを晴らそうとします。
感心した富樫は先の弁慶の言葉を思い出し、勧進帳を読んでみるよう命じます。もともと、身をやつして逃げている一行が、本物の勧進帳など持っているはずはありません。でも、弁慶はたまたま持っていた巻物を白紙にも関わらず、勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げます。なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問いただすと、弁慶はよどみなく答え、危機を切り抜けます。
富樫は通行を許すことにしますが、部下の一人が荷物持ちである強力(ごうりき)に疑いをかけました。その強力は、実際の義経だったのです。そこで弁慶は、義経ではなく、本当の強力であることを示すため、「お前が義経に似ているから我々が迷惑をかけているのだ!いっそのこと、殺してしまおうか」と主君の義経を金剛杖で叩き、その疑いを晴らそうとします。
主君を守るため必死な弁慶のふるまいに心を動かされた富樫は、義経と知りながらも、関所を通すことを認めます。
危機を脱出した義経は、弁慶の機転を褒めますが、弁慶はいかに主君の命を助けるためとは言え無礼を働いたことを涙ながらに詫びます。それに対して義経は優しく弁慶の手を取り、共に平家を追った戦の物語に思いを馳せ、ねぎらいます。
そこへ富樫が現れ、先の非礼を詫びて酒を勧めます。それに応じて、弁慶は酒を飲み、舞を披露。舞いながらも、義経らを先逃がした弁慶は、富樫に目礼し、主君の後を急ぎ追いかけ、安宅の関を突破したのでした。
弁慶が主君の義経を思う気もち。義経が家来の弁慶を思う気持ち。敵である富樫が必死な弁慶をかばう気持ち。
その後、義経は奥州で非業の死を遂げることになるのですが、安宅関での出来事は「勧進帳」として歌舞伎の素材となり、今の世まで語り継がれています。
深い、深い、勧進帳の物語。
血のつながりのない、主君と家来、あるいは、敵対する者同士でありながらお互いを思いやる気持ちの、なんと情けの深いことか。
血を分けた兄頼朝から追われる弟義経を守るのが、血ではない「信義」で結ばれた家来、あるいは「人としてのプライド」を持つ敵方なんて。
実は、今は、こういうことを書いていますが、中学生のころの私は、当然そんなところまで、想像できたわけではありません。
「歌舞伎」って派手だな。「面白い顔だな」「何言ってるか分からない」くらいの理解だったことでしょう。
でも、あれから30年ほど、いろいろと人生の酸いも甘いも経験してきた(笑)からこそ、想像ができるようになったのです。
は~、すごいな。。。と授業参観であることを忘れるほどに感動しながら、我が息子を見やると。。。。
ん???寝てるの??起きてるの?? 状態。。(・∀・)
もー!!!ちゃんとしてよー!!!
と叫びたくなりました。。”(-“”-)”
でもね。
「思いやり」が大事って、「勧進帳」で学んだばかりでしょう?
中学生のころの私だって、大して真剣に見ていたかなんて、もう分からないでしょう??
そう。息子は息子で、今を生きているのです。息子は息子で、14歳なりの一生懸命で日々過ごしているのです。
だから、「思いやろう」と思いました。
息子がポーっと音楽の授業を受けていても。
「今日は、プリント配られた?」って聞いてもボヤンとした答えしか返ってこなくても。
でも、彼は彼で、一生懸命彼の人生を生きている。
だから、私も、息子にまずは寄り添ってみること。それが大事かな、、、なんて思ってみたりして。
授業参観後の懇親会も終え、すっかり夕方になった学校を出ようとして、「そうだ、息子が部活をしているはず。こっそりとみてこよう」と、体育館に回ってみました。
ギャラリーに上がって、ちょうど黒いコートを着ていたので、暗幕にピタっとくっついて、「黒幕」になった気分で、見下ろしてみました。
バスケット部とバドミントン部が、体育館を半分に分けて練習しています。息子の姿を探すと、いました、いました!
私の真下に。友達と、それはそれは楽しそうにラリーをしていました。
家で見せるのよりも弾けた笑顔。
家では使わない、友達同士とのふざけた言葉。
家の中で、1:1の親子としてみる息子とは、ちょっと違うのびやかな息子がいました。
それを見たら、「こんなに楽しそうなんだから、良いかな」なんて思ってみたりもして。
「子供が、自分の世界で、生き生きと生きていけるようにすること」
「世の中で、自分の力を生かしていけるようにすること」
それだけできれば、親としてOKなんじゃない?と、「あれもできない」「これもできない」と思いがちな子育てのハードルを、ぐっと下げてみる。
思春期・反抗期真っ盛りの子供達との毎日だけど。
こんな日が過ごせることに感謝して、子供達の思いを想像して、母親やらせてもらおう♬
いつか、「勧進帳」本物、見に行きたいな。息子と行けるかな、娘とかな。いやいや、一人かな。。
どちらにしても、「勧進帳」を見たらきっと私は、今日のことを思い出すのでしょう。
そのころはきっと、息子もひげが生えているでしょう♬
娘も、すっかり自立していることでしょう。
そうなっちゃうんだから。今を楽しんでいこう。そんなふうに思った「勧進帳」授業参観でした!
縁あって、このブログを読んでくださっている皆様も。かけがえのない毎日を、どうぞ大事にお過ごしくださいね♬
最後まで読んで下さり、ありがとうございました(*^^*)