2018年、あけましたね♬ 良い一年になりますように(*^^*)
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
ここ数年、元旦の午後は里山散歩に出掛けています。午前0時に初詣でした村の鎮守さまにもう一度お詣りして、そこからグルリと里山を散歩。
真冬の野山は、寒々しい中にも春への息吹が感じられる自然の営みを見ることができたり、なかなか楽しいのです。
今年は、現在、村の方々が整備中の古城「嶺城」跡もコースに組み込み、約5キロ。年末から食べてばかりなので(笑)、良い腹ごなしになりました♬
まず、村の鎮守さまからスタート(*^^*)
社務所もない小さな小さな鎮守さまですが、立派な神楽殿があり、毎年八十八夜の大太神楽が奉納されています。江戸時代から続いているんですって!子どもの頃、祖母に連れてきてもらったのが懐かしい(*^^*)
でも、暦での八十八夜は平日のことが多く、神楽を舞う方も来る方も農業に専業で従事する方々ばかりではないので神楽の存続が難しくなっていることが課題でした。そこで、今年からは4月の二週目日曜日に開催することにしたとか。今年は、子供達を連れて行ってみようかなと思っています。
手前が神楽殿で、奥が本殿。
本殿のしめ縄は父が村の方々としめたとのこと。嬉しそうに話してくれましたよ。
75歳で仕事を引退してから地域活動に熱中している78歳の父です。子どもの頃から親しんできた鎮守さまを守ったり、伝え聞いてきた古城「嶺城」を整備したり、ゲートボールやグラウンドゴルフ大会に出て地域の方々と交流したり。
仕事を終えたあとの生活で大切なのは「きょういく」と「きょうよう」だそうです。つまり、「今日、行くところがある」、「今日、用事がある」ということ。父は、毎日、きょういくときょうように恵まれ楽しくしている様子。20数年後に私も迎える退職後の生活をどうするか考えるヒントになります♬
奥の社や、
奥の社のもとになっている社や。
午前0時のお詣りでは真っ暗でなかなか参れないお社まで参ることが出来ました。
鎮守さま、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
神社の由来が書かれた案内板がありました。ふむふむ。。江戸時代からの神楽、ぜひとも行かないと(*^^*)
案内板から少し目を遠くへやると、こんもりした丘があります。あれが、戦国の古城「嶺城」跡。これから、そちらへ向かいます。
グンマーの母なる山、赤城に抱かれた小さな鎮守さま。
西を見やると、榛名山。
神社を出てぐるりと丘の向こうへ回って、本丸への入り口。
ここは、堀跡です。大手門は別のところにあるのですが、今は民家があり、また、大手門そのものが木々に覆われていて入ることができないので、こちらの裏手堀跡から。
落ち葉の絨毯を踏みしめて、森の中へ入っていきます。
森だけど、城跡。戦国の要塞城なので、もともと大した建物はなかったのかもしれませんが、堀切や曲輪、本丸跡などははっきりと残っています。
ただの林だとしか思っていなかったけれど、掘り起こしたら、ちゃんと堀や抜け道(というのか?)が現れて、やっぱりお城。
ここから、あの階段を昇って二の丸、本丸へ。階段は、地元の有志の方々が作ってくれました。階段がなかった時は、滑りそうになりながら登ったものですが、随分歩きやすくなりました。感謝♡
あの向こうの青い竹林が二の丸跡。
竹林をつっきった向こうに大手門からの入り口と思われる跡がのこっているのですが、藪の中なのでアクセスできません。今年、そこの藪を払って大手門を掘り出すことが目標とか。
二の丸を背に登って、本丸跡へ。
ここが、本丸だったのですなぁ。戦国の時代には、ここで狼煙をあげたり要塞として戦ったりしたのでしょうか。
さぁ、帰ろう。城跡ですが、今は大根が干されていたり(*^^*) 本丸と堀を隔てた向こうの、なんという場所なのかわからないのですが、そちらは畑になって野菜が栽培されていたり。
戦国の城も、時代変われば役立て方も変わるものですね。
城を出ると、こんな田舎。本当に、田舎の山城です。
城の近くからは、赤城山が望めたり、
関東平野が見渡せたり。
新年になるとトンビが停まるという古木には、例年のようにトンビの群れ。
鳥は、何で時を知るのでしょうね。毎年、年末はいないのに、年が明けるといるという。
そんなこんなで、約5キロ。良いお散歩でした。
整備も途中の嶺城ですが、昨年は5台ほど置ける駐車場も整備されましたし、階段もできたし、今月は、古城研究家の先生を読んで講演会も開催される予定です。戦国の古城跡にご興味のある方は、ぜひいらしてみてください。
住所: 群馬県前橋市嶺町字城岸601-2
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嶺城跡は、前橋市街から近いにも拘らず、遺構が良く残っていて素晴らしいと思います。(作業に利用されている曲輪もあるが、城の基本構造は極端に改変されてはいない)
嶺町自治会の皆さまの熱意や、城主の末裔である土地所有者さま(田中さま)のご理解あってのものと思います。
松山 哲さま
コメントをありがとうございます!嶺城、素晴らしいのですね。
お城のことは全然分からないのですが、ふるさとに、見る方が見れば素晴らしい城跡があると知り、自治会メンバーとして城跡整備に携わっている父について行った散歩の記録です。歴史遺産として市などから正式に認められていない中での整備は、土地所有者の田中さまと、自治会の方々の熱意の賜物と感心しました。本丸にたどり着けるようになるまでは、藪が深くてどうにもならない状態だったそうですので。
明日(もう今日ですが、H30.1.21)の午後1時半から、地元公民館で、城跡研究をされている先生による嶺城をめぐる講演会もあるようです。曲輪の意味も分からないので、ちょっと聞きにいってみようかと思っているところです。聞いて、知って、発信することで、少しでも嶺城を知ってもらい、地元活性化の一助になれればと(*^^*)
お父様が嶺城跡の整備に携わっておられるのですか?
あれっ、私、昨年 嶺城跡の本丸で、市役所の担当者に現地説明している自治会の方たちにお会いしましたよ!(偶然のことでした)
今日の講演会も、その場で、教えて頂きました。講師の久保田 順一 先生は、箕輪城と長野氏の研究などで有名ですね。
あ、夜更かししてしまった!
はい、そうです!
市役所の方にお話している時に、お城好きの方が訪ねて来られたと父から聞いていたので、ひょっとしたら、その方かな~思っていました(*^^*) 奇遇ですね!
久保田先生、箕輪城と長野氏の研究で有名なのですね。楽しみです。
このあたりには、嶺城以外にも多く城があったそうですが、農地利用や宅地開発などで、今はもう残っていないものが殆どだと聞きました。嶺城は、田舎で開発されなかったからこそ残った遺構。整備を進めて、どう維持していくのかも、課題になるなぁ。。と思っています。